神社のこと about


Samuhara jinjya

御祭神

  • あめのみなかぬしのおおかみ
    天之御中主大神
  • たかみむすびのおおかみ
    高皇産霊大神(高御産巣日大神)
  • かみむすびのおおかみ
    神皇産霊大神(神産巣日大神)

サムハラについて

古来より災難消除、身体健固の護符として伝わる文字であり、江戸期には矢玉避けの護符や怪我をせぬ呪(まじな)いの札として、近代には従軍兵士の弾除け守、また千人針などに縫い表して武運長久を願うなど字を書き、符を身に帯びる人を守護する符字として全国に伝わるものです。 当神社は、現在の岡山県津山市加茂町・日詰山に伝承された古祠の由緒を継承して、「サムハラと(サムハラ)」字を万象を生出する造化三神の創造・生命力の御神徳を戴くものと伝えまして、厄事災難除、無傷安全、無病息災、延命長寿など、命を生(む)す願いを守護してくださる「サムハラ大神」としてお祀りしております。

沿革について

美作国東北条郡中原村(現・津山市加茂町中原)日詰山山中の城郭址に古祠在り、 『サムハラ(サムハラ)』を伝えると謂れあるも年紀不詳、恐らくは中世の日詰城の域内に斯様の守護祠の在ったものかと推測される。 歳月の中に古祠荒廃し、付近の住人の細々たる尊崇のみのうちに継がれる。同地出生の当神社初代主管者・田中富三郎翁の、往時により災難除・身体健固の加護に与りて日清・日露の戦役に助かり、常陸丸、鉄嶺丸に難を逃れ、しばしばの危難を避けて無事なるは奉持した
サムハラ(サムハラ)」の護符の御陰と畏んで、昭和9年に奉賛会たる信光会を催し、昭和10年に荒廃の古祠を再建する。第2次大戦に至り、大阪師団司令部を通じて出征兵士に御守を贈呈、武運長久を願う。戦後昭和21年改めて中原・日詰山山中に社殿再建。 次で昭和25年、当時の大阪市要人達の賛同を得て大阪中之島豊国神社(当時)の摂社として岡山より分霊、中原の社殿は元宮・奥宮と称する。 昭和36年、大阪市役所増築により豊国神社大阪城内に奉遷、当神社も西区立売堀に移築遷座する。平成17年、台風の為毀たれた岡山奥宮を、加茂金刀比羅神社、地元各人の協力を得て加茂町中原900-3の現在地に遷座する。

サムハラ神社

  • サムハラ神社 写真
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  • サムハラ神社 写真
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サムハラ神社 奥之院

  • サムハラ神社 奥之院 写真
  • サムハラ神社 奥之院 写真
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